自然災害伝承碑
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自然災害伝承碑 代表事例(明治期の自然災害)
代表事例について
本ページの代表事例は、公開された自然災害伝承碑のうち、人的被害が数十名以上となった自然災害であることや広域で発生した自然災害であること等の観点を考慮し、抽出したものです。
震災紀念之碑 地理院地図で見る
災害種別 |
地震 |
建立年 |
1896 |
所在地 |
島根県浜田市牛市町 |
伝承内容 |
明治5年2月6日(1872年3月14日)、浜田市沖を震源とする大地震により、浜田市街では地は裂けて家屋は倒壊、火災があちこちで発生し、多くの死傷者が出た。牛市町では家屋83戸が倒壊・焼失し、人口300人余りのうち、死者42名、負傷者100名余りの被害を受けた。 |
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千人塚合葬之碑 地理院地図で見る
災害種別 |
高潮 |
建立年 |
1885 |
所在地 |
岡山県倉敷市広江町2丁目 |
伝承内容 |
明治17年(1884)8月25日、台風による強風で水島灘からの激しい大波と高潮により、福田新田の干拓堤防が決壊し、福田地区(北畝・中畝・東塚・南畝・松江)で高潮による浸水被害が広範囲に発生した。破壊流失した家屋742戸、犠牲者536人。 |
豫州(よしゅう)溺死者招魂碑 地理院地図で見る
災害種別 |
高潮 |
建立年 |
1884 |
所在地 |
愛媛県松山市元町 |
伝承内容 |
明治17年(1884)8月25日に襲った台風は、県内海岸部に高潮による被害をもたらし、大可賀・三津浜を中心に280名以上が溺死したと伝えられている。風化によりすべてを読み取ることは難しいが、当日の風向きの変化、怒濤のように海水が流入した様子、多くの溺死者が漂う状況が碑文から垣間見られる。 |
明治17年8月台風に関するその他の自然災害伝承碑(主なもの)
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明治18年6~7月洪水 (1885年6月18日~7月2日)
明治十八年洪水碑 地理院地図で見る
災害種別 |
洪水 |
建立年 |
1886 |
所在地 |
大阪府枚方市桜町16番地先 |
伝承内容 |
明治18年(1885)6月18日・7月2日の豪雨により、現在の枚方市伊加賀付近の淀川堤防が約180mにわたって決壊した。通称伊加賀切れと呼ばれるこの水害は、茨田郡(現守口市・門真市、枚方市・寝屋川市・大東市等の一部)一円を水没させ、濁流は大阪市中にも及んだ。この水害では、2万6千戸以上が流失、約290人が亡くなったとされる。碑は枚方市登録文化財となっている。(現在地へは2010年に移設) |
明治18年6~7月洪水に関するその他の自然災害伝承碑(主なもの)
明治十八年洪水 酉歳紀念碑 |
大阪府大阪市東成区深江南三丁目16-14 |
地理院地図で見る |
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須沢追悼碑 地理院地図で見る
災害種別 |
土砂災害 |
建立年 |
1889 |
所在地 |
愛媛県大洲市長浜町須沢丙803 |
伝承内容 |
明治19年(1886)9月24日台風襲来により櫛生村須沢では、山腹が約270mにわたって崩壊、瞬時の間に山すその人家が埋没、流出。土砂で家屋の倒壊、田畑の流出が相次ぎ、多数の死傷者を出した。この災害で39人が犠牲となった。 |
明治19年9月台風に関するその他の自然災害伝承碑(主なもの)
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明治22年紀伊半島大水害(十津川大水害)(1889年8月19日~20日)
明治22年水害碑(十津川村重里) 地理院地図で見る
災害種別 |
洪水・土砂災害 |
建立年 |
不明 |
所在地 |
奈良県吉野郡十津川村大字重里 |
伝承内容 |
明治22年(1889)8月19日、未曽有の豪雨により多くの土砂災害が発生した。旧西十津川村内で犠牲者42名、潰家40戸、流家6戸などの甚大な被害があった。その際の水位を記録したもの。碑文には「明治22年8月19日の洪水氾濫がこのところにおよび、すなわち立石をもって後のためにこれを警戒させん」とある。 |
洪水記念碑 地理院地図で見る
災害種別 |
洪水 |
建立年 |
不明 |
所在地 |
和歌山県和歌山市坂田 |
伝承内容 |
明治22年(1889)8月、2日間にわたる台風の大雨により、紀の川から出水。碑文には、県下の死者千人以上、村内の浸水は西入口で約1.8m、東山際で約0.9mを超える高さに及んだとある。 |
明治22年紀伊半島大水害(十津川大水害)に関するその他自然災害伝承碑(主なもの)
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明治弐参年水測票 地理院地図で見る
災害種別 |
洪水・土砂災害 |
建立年 |
1903 |
所在地 |
高知県高岡郡四万十町仕出原 |
伝承内容 |
明治23年(1890)9月11日、四万十川流域では台風の豪雨により各地で洪水被害を招いたが、夕方になると川の水が急に引き始めた。しかし、1~2時間経った頃、川をせき止めていた上流の土砂が崩壊して大激流が下流を襲い、比較的平地にある流域の集落はほとんど水没し、数多くの死傷者を出した。 |
明治23年9月水害に関するその他の自然災害伝承碑(主なもの)
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震災紀念碑 地理院地図で見る
災害種別 |
地震 |
建立年 |
1897 |
所在地 |
岐阜県羽島市竹鼻町下城(竹鼻別院) |
伝承内容 |
明治24年(1891)10月28日午前6時37分、岐阜県美濃地方を突然猛烈な地震が襲い、旧竹ヶ鼻町では死者268名、重傷者54名、軽症者283名、家屋全壊603戸、半壊5戸、火災634戸の被害が発生した。同町では火災の影響で、他の町村に比べても人口の割に死傷者がきわめて多かった。 |
震烖紀念之碑 地理院地図で見る
災害種別 |
地震 |
建立年 |
1892 |
所在地 |
愛知県津島市宮川町一丁目(天王川公園) |
伝承内容 |
明治24年(1891)10月28日に発生した濃尾地震はマグニチュード8.0と推定され、過去日本の内陸で発生した最大級の地震で、旧海東・海西2郡では死者294人、負傷者1,264人、家屋倒壊約32,000戸、土地の陥没、農地荒廃、堤防崩壊の被害となった。碑は当初建立した津島警察署前から現在地に移設された。 |
濃尾地震に関するその他の自然災害伝承碑(主なもの)
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明治26年10月台風 (1893年10月13日~14日)
水災溺死者之墓 地理院地図で見る
災害種別 |
洪水 |
建立年 |
不明(1893頃) |
所在地 |
岡山県総社市井尻野字湛井 |
伝承内容 |
明治26年(1893)10月11日から降り始めた豪雨は、13日に台風接近に伴い暴風雨となり、14日にピークを迎え、高梁川流域の多くの場所で堤防が決壊して甚大な被害が発生した。特に湛井堰下流左岸堤防の決壊では、影響は吉備津付近まで及び、湛井堰近郊だけで160人余りの命が奪われた。 |
明治26年10月台風に関するその他の自然災害伝承碑(主なもの)
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甲午震災記念碑 地理院地図で見る
災害種別 |
地震 |
建立年 |
1900 |
所在地 |
山形県酒田市日吉町二丁目 |
伝承内容 |
明治27年(1894)10月22日午後5時35分、庄内地方は大地震にみまわれた。夕飯の時刻でもあったので火災も発生し、かつてないほどの大惨事となった。酒田町の過半数に当たる1747棟の家屋が全焼し、160人を超える死者が出た。庄内全体で死者700人を越し、焼失家屋も2500棟を越した。 |
庄内地震に関するその他の自然災害伝承碑(主なもの)
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海嘯紀念碑 地理院地図で見る
災害種別 |
地震・津波 |
建立年 |
1902 |
所在地 |
岩手県宮古市磯鶏石崎 |
伝承内容 |
明治29年(1896)6月15日は旧暦の端午の節句(5月5日)にあたり、家々では祝宴の最中に明治三陸地震が発生し、2回の大津波があった。高浜、金浜の2区と磯鶏区の石崎、飛鳥方、神林、白浜の4箇所で流失家屋121戸、死者96名の被害を伝える。磯鶏区は死者58人、流失家屋53戸、半壊10戸の被害であった。 |
海嘯記念碑 地理院地図で見る
※この写真の二次利用は、釜石市への利用申請が必要です。
掲載市区町村一覧および写真の二次利用についてをご覧ください。
災害種別 |
地震・津波 |
建立年 |
1902 |
所在地 |
岩手県釜石市大只越町(大只越公園) |
伝承内容 |
明治29年(1896)6月15日は旧暦の端午の節句の日であったため、多くの家々では歓談・団らんして過ごしていたところに、津波が襲来した。旧釜石町で被災した家屋は841戸、溺死者2979人と記されている。地震の揺れがさほど強くなかったので、津波が間近に来るまで気づかず多くの命が奪われた。 |
慈恩寺の海嘯招魂碑 地理院地図で見る
災害種別 |
地震・津波 |
建立年 |
1898 |
所在地 |
岩手県陸前高田市広田町字泊 |
伝承内容 |
明治三陸地震は午後6時50分頃から小さい揺れが長く続き、大津波は8時7分に襲来したことから、「前触れなき大津波」とも言われ、静かだった海が突然うなり、津波が襲ってきたことが記されている。石碑は東日本大震災において倒壊したが、地元住民等の努力によって再建された。 |
明治三陸地震に関するその他の自然災害伝承碑(主なもの)
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明治29年9月洪水 (1896年9月3日~12日)
明治29年大洪水点 地理院地図で見る
災害種別 |
洪水 |
建立年 |
不明 |
所在地 |
岐阜県大垣市大垣城内 |
伝承内容 |
明治29年(1896)の水害は大垣を中心とした輪中地域における最大の大水害であった。この年の7月19日より22日にかけて大垣では降水量378mmとなり各河川は増水して、21日に揖斐川にて今福が破堤し続いて水門川など46箇所で破堤して大水害となった。この災害復旧中の9月6日に台風が襲来して暴風雨となり、再び各河川で破堤して大風水害となった。9月の大垣の浸水は7月より約1メートル高く大垣町の約80パーセントの家々が屋根まで達する軒上浸水となった。 |
明冶二十九年洪水石標 地理院地図で見る
災害種別 |
洪水 |
建立年 |
1899 |
所在地 |
滋賀県大津市下阪本四丁目9(酒井神社) |
伝承内容 |
明治29年(1896)9月3日から12日の間に1008ミリの雨量を記録し県内で死者・行方不明者34名などの大きな被害をもたらしている。琵琶湖が増水し、下阪本村では全村700戸のすべてが浸水した。碑にはこのときの水位とともに、万延元年(1860)、明冶元年(1868)、明冶18年(1885)の水位も記録されている。 |
明治29年9月洪水に関するその他の自然災害伝承碑(主なもの)
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水難溺死者供養之碑 地理院地図で見る
災害種別 |
洪水 |
建立年 |
1899 |
所在地 |
北海道夕張郡栗山町角田42番地(方田寺) |
伝承内容 |
明治31年(1898)9月6日から8日までの大雨により夕張川をはじめ周辺河川が一斉にあふれ大氾濫となった。角田の低地帯は一面浸水し、92戸の家屋が流失、82名の尊い命が犠牲となった(境内立ち入りには方田寺の許可が必要)。 |
嗚呼地水還身(ああちすいかんしん) 地理院地図で見る
災害種別 |
土砂災害 |
建立年 |
1898 |
所在地 |
山梨県北杜市大泉町谷戸豊武3715-3 |
伝承内容 |
明治31年(1898)9月5日~7日にかけて降り続いた台風による豪雨は、9月7日午前1時半頃、八ヶ岳中腹の西沢・東沢で山岳崩壊を引き起こし、土石流は宮川を南下、当時の原谷戸地区を直撃した。旧大泉村での被害は、死者57人、流失家屋72戸、流失耕地約200ヘクタールに及んだ。この災害を後世に伝えるため供養の石碑が建立された。 |
明治31年9月洪水に関するその他の自然災害伝承碑(主なもの)
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明治32年8月台風(別子大水害)(1899年8月28日)
溺死三十三霊之塔 地理院地図で見る
災害種別 |
洪水・土砂災害 |
建立年 |
不明 |
所在地 |
香川県三豊市仁尾町仁尾 |
伝承内容 |
明治32年(1899)8月28日、四国地方を襲った台風は各地に洪水と山崩れによる被害をもたらし、中でも愛媛県新居・宇摩両郡では1000人を超える死者を出した。旧別子山村を中心に多数の人々が濁流とともに押し流され、数日後、国領川から瀬戸内海に流された33人の死体が仁尾の浜に打ち上げられた。 |
明治32年8月台風(別子大水害)に関するその他の自然災害伝承碑(主なもの)
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明治40年7月洪水・土石流 (1907年7月15日)
水害碑 地理院地図で見る
災害種別 |
洪水・土砂災害 |
建立年 |
1910 |
所在地 |
広島県安芸郡坂町小屋浦四丁目 |
伝承内容 |
明治40年(1907)7月15日、数日来降り続いた豪雨により天地川や総頭川で土石流が発生した。この未曾有の大災害により、小屋浦地区では43戸の家屋がつぶれ、44名の命が奪われた。
関連外部サイトへのリンク集 |
明治40年7月洪水・土石流に関するその他の自然災害伝承碑(主なもの)
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明治43年8月大水害 (1910年8月9日~11日)
水害記念碑 地理院地図で見る
災害種別 |
洪水 |
建立年 |
1935 |
所在地 |
群馬県邑楽郡千代田町大字上五箇 |
伝承内容 |
明治43年(1910)8月11日午前0時30分、連日の豪雨で旧富永村大字上五箇駒形地先の堤防が決壊した。同日2時には、旧富永村、旧佐貫村入会地先の堤防も決壊し、濁水が魔の如く村を襲い、死者14名、行方不明者28名、負傷者3名、家屋流失47戸等の大惨事となった。田畑は概ね砂礫で埋もれ、村民は家財を失い、衣服も食料もなく途方に暮れた。 |
明治四十三年大洪水記念碑 地理院地図で見る

災害種別 |
洪水 |
建立年 |
1911 |
所在地 |
埼玉県加須市花崎(鷲宮神社) |
伝承内容 |
明治43年(1910)は7月下旬からずぶ濡れになるほどの雨が降り、8月11日に止んだ。この大雨により利根川・荒川の堤防の多くが決壊し、関東は稀にみる大洪水となった。死傷者や家畜の被害は数えることができないほど多く、田んぼや家も流された。 |
明治43年8月大水害に関するその他の自然災害伝承碑(主なもの)
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