測量・地図ミニ人物伝:長島尉信

「測量・地図ミニ人物伝」 

 

長島尉信
(1781-1867)

 

画像:長島尉信

「量地雑方」(茨城県歴史博物館パンフレットより)

 

 長島尉信(ながしまやすのぶ)は、茨城県筑波郡小田村(現つくば市小田)の小泉吉則の長男として生まれ、この地で活躍(かつやく)した農政学者でした。

 

 享和元年(1801)長島家の養子となり、文化5年(1808)28歳の時には小田村の名主になりました。彼は、村人の年貢を集めて領主におさめたり、領主の命令を守らせたりする中で、農村の改革(かいかく)を目指していました。
 その間、田畑の境界紛争(きょうかいふんそう)などがあり、農民の間に入って苦労をかさねましたが、45歳にして、長男の尉敏(やすとし)に名主をゆずり隠居(いんきょ)しました。

 

 これを機会に江戸に出て、天文、暦学(れきがく)、測量などを学びました。これより先、税金のことや、関連した土地の測量について研究し、あわせて毎日1万字書き写すことを課題にしたそうです。その結果は、15年間に15箱にもなったといいます。

 

 その後、農村改革などの本(「田芹(たぜり)」)を書いたことで、水戸藩に認められ、土地の測量をたんとうする仕事(御土地方御郡方勤)につき、領内の検地(けんち:土地の測量やその土地からとれる作物などの調査)にせいを出しました。

 

 さらに天保14年には、土浦藩にまねかれ土木測量の担当となり、測量術を生かしての土浦城の修復や検地を精力的に行いました。

 

 尉信の学問は、農民の生活を改善(かいぜん)するための改革や田畑の測量などで、それぞれ書籍(しょせき)として残っています。