長久保赤水(ながくぼせきすい)1717-1801

先人たちのこどものころ:長久保赤水(ながくぼせきすい)

― 日本で最初の経緯線入りの地図を作成した ―
画像:長久保赤水

画 伊藤久美子(伊藤デザインルーム)


長久保赤水(ながくぼせきすい)について

小さいころの赤水(せきすい)は、近くの街道(かいどう)ふきんでよく遊んでいましたが、その合間には、願成寺というお寺の下の海岸で、砂の上に木で文字を書いて練習するほどの勉強ぶりであったといいます。

また、弟は3歳で、母は赤水が9歳のとき、父は11歳のときになくなるなど、不幸なことがつづきましたが、くじけませんでした。その後は、まま母にそだてられましたが、朝早くから農業を手伝い、雨の日にはとなり村の漢学者(かんがくしゃ)について勉強したそうです。この母はいつも、「人は、ほんとうの仕事のほかに、楽しんで学ぶものがなければならない」と赤水にいって、好きな勉強をさせたそうです。